日本経済新聞内定者

タイトル「人生百年時代」

 

  「いってきます!」元気な祖母の声が家に響く。同居する八四歳の祖母は、週に二回介護老人保健施設に通っている。通所する日は朝から化粧をし、オシャレをしてとても楽しそうだ。

 今では元気そうにしている祖母だが、一年前までは部屋に籠りきりの状態だった。というのも、昨年の春に八八歳だった祖父が亡くなった。毎日朝四時に起き、二時間の散歩に出かけるほど健康に気を使っていて、「百歳まで生きるぞ」が口癖だった祖父の死は、祖母の心に大きな穴を空けた。同じ時期に腰を痛めたこともあり、外出する回数は減っていった。

 そこで母が提案したのが、介護老人保健施設「湘南の丘」への通所だった。自宅まで送迎、リハビリはもちろん、マッサージをしてもらったり、レクリエーションをしたりする。始めは通所に消極的だった祖母だったが、母の後押しにより通うことを決意した。

 通いだすとすぐに、祖母の元気は回復していった。少し曲がった背中はシャキッと伸びるようになった。「施設はどう?楽しい?」と私が尋ねると、「ええ、とても楽しいわ。友人もたくさんできたの。九十歳の人が元気に運動しているんだから負けていられないわ」と答える。

 お盆を迎え、親戚たちと祖父のお墓に行った。祖母は真剣な眼差しで祖父の眠る墓を見つめ、「あなたの代わりに、私が百歳まで生きてみせるわ」と言った。

 医療技術の発達が進み、「人生百年時代」が叫ばれるようになった。しかし、医療の進歩だけでは幸福な百年を過ごすことはできないと思う。心身ともに健康な百年を過ごすためには、共に暮らす家族や親戚による支え、そして国や市区町村による支援が欠かせない。

 

 

朝日新聞内定者

タイトル「共存」

 

 大学一年の冬休み、日本とは異なる生活習慣に興味を持っていた私はインドネシアの小さな農村で1週間のホームステイを計画していた。私が行った時はちょうど、ニュピという地域の民族宗教行事が行われるタイミングだった。 ニュピの日が近づくにつれて、町の雰囲気はどんどん変化していった。家には、着色したバナナの葉っぱのリースが飾られ、街には、お祈りの音が繰り返し聞こえるようになっていた。そんな非日常の体験に圧倒されていると、今度はホームステイをしている家で一大イベントをやるということを耳にした。  ぼーっと床に座って中庭を見つめていると、突然、獣の叫び声が聞こえてきた。声のする方向に向かうと、数人の大人が豚をカゴの中に入れていた。男性は刃渡りの長いナイフを、豚の喉に突き刺した。首から血がドローっと流れる豚は暴れ回るが、大人たちは豚の首が下になるようにカゴを傾けた。さらに大人たちは、楽しそうに笑いながら、動かなくなった豚の皮膚をバーナーで焼き、肉を切り刻んでいた。あまりの残酷さに衝撃を受けた。

 その日の夕食は、豚を入れたカレーだった。あの豚が入っているかと思うと、食べるのが憚られた。恐る恐るカレーを口に運ぶと、味そのものは普通の美味しいカレーだった。しかしその中には、豚の骨と思われるような硬い部位も入っていた。私は、今まで食べたことのない食感を味わっていた。

 ステイホームが終わり、空港から冬休み明けの初めての授業に急いでいた私は、羽田空港の牛丼店を訪れていた。この牛丼に使われている牛肉は、一体どうやってここに運ばれてきたのだろうか。誰かが牛を育て、運び、調理することで、やってきたのだろう。何より、牛の命をいただいている。食事をするということが、実は誰かに支えられ、何より、動物の命を犠牲にして成り立っている、日々の食生活に目を向けさせられる経験だった。

 

 

日本経済新聞内定者

タイトル「新しい生活」

 

 新型コロナウイルス、そして緊急事態宣言の発令により、多くの人が「新しい生活」をスタートさせた。

 私の家族の生活もまた、一変した。新型コロナ感染拡大前まで、私は都外の自宅から一時間半かけて都内の大学へ通っていた。朝早くに家を出て、授業を受け、夜遅くに帰宅した。都内で小学校の教師をしている父は、朝五時の始発電車で出勤。兄は障害者施設に通い、週五回運動をしたり、アルミはがしの作業に励んでいた。

 それが、自粛生活が始まるや、私は家でオンライン授業。父も学校が休校となりリモートワークに。兄は通所を週二回に制限された。

 しかし、一人だけ生活が変わらなかった家族がいる。母だ。ある時、私と父は家に籠りきりの毎日を嘆いたことがある。「毎日ずっと家に居てつまらないよね」。「そうだな」と父。すると母は、「私は二十年間、ずっと家に籠りきりの生活だよ」と言った。

 私の4歳上の兄は重度の知的障害を持って産まれた。医者に「お子さんの余命は半年」と言われた母は、「絶対に死なせない」という思いで兄を育てた。兄が六歳、私が二歳の頃、今度は母自身が白血病を患い余命宣告を受けた。骨髄移植をして元気になったが、保育士の仕事をやめ、自宅で安静にしながら兄の介助をしてきた。今でも毎日誰よりも早い朝四時に起き、私と父の朝食を作っている。私や父の嘆いた「新しい生活」は、母にとって何年も積み重ねた「普通の生活」だった。

 コロナ禍で始まった「新しい生活」。「家に居ても仕事ができる」といった前向きな声や「早く大学に行きたい」といった不満も聞かれる。いずれにせよ、多くの人はコロナでどう「変化」したかに注目している。しかし、その陰で、コロナにかか割らず大変な思いを抱える人が私のすぐそばにいた。

 

NHK内定者

タイトル「共生」

 

 生まれてからずっと、自然豊かな町で生まれ育った。いわゆる繁華街はないどころか、本屋の一つも無いような町だった。しかし夜には鈴虫やカエルの鳴き声が聞こえ、秋にはあたり一面が色づいた山々に囲まれる。社会の授業で「この町の魅力」を考える時には、「自然しかないでしょ」、「虫とかそこらじゅうにいるよね」と意見が一致したものだ。「自然に囲まれた暮らし」を享受していると子供ながらに思っていた。

 しかし近年、こんな町で問題となっているのがクマによる被害だ。春から秋にかけては毎週のようにクマが目撃される。クマに襲われる人も後を絶たない。思い返せば中学2年の秋、通学路で私が通った20分後にクマが出没したという校内放送に恐怖を感じたことがある。普段、めったにテレビに映されない町が久しぶりに全国ネットで取り上げられたのも、クマによる被害の特集だった。「自然に囲まれた暮らし」は決して「クマがいつでも町に出てくる暮らし」を意味しない。

 こんな状況になったのは実はここ十数年ほどのことだと父は言う。原因は木材などのための森林伐採だと考えられている。すみかを人間に奪われたクマは食料を求め山を下りるようになった。クマの生活を奪い生活をより豊かにしてきた人間の側は今、自らの生活や命を奪われることを恐れている。

 「地球に優しく」といった自然保護のスローガンは近年その存在感を増している。重要なのはそれが何を意味するのかだ。今まで私たちは自然を一方的に利用してきた。しかし、地球温暖化による異常気象や未知のウイルスとの接触などで私たちの生活も脅かされている。しかし、人間と自然が共に豊かさを享受するヒントはすぐそこにある。例えば、適度に人間の手が入った里山は生物多様性を育む環境だという。「奪い合う」関係ではなく、「分かち合う」関係へと変わることが、いま必要とされているのではないか。