批判精神と取材魂 新聞記者の素養は?

 大胆な見出しだと思った。朝日新聞910日朝刊1面にあった「二階氏『恩知らず』人事が招いた離反」である。トップの「『医療確保できず反省』/首相会見 1年で退任へ」に続く記事の見出しで、黒ベタ白抜き、紙面の真ん中にあって目立った。

 記事は、自民党幹事長の二階俊博氏を交代させ、自らの政権延命を図る菅首相に、二階氏がつのらせていたとする。二階氏と会談した翌日3日午前、菅首相は党役員会で総裁選不出馬を表明した。ここからがおもしろい。<二階氏は記者団に「党執行部との間には、何のゴタゴタもない。一丸となって支えてきた。歴史的にも素晴らしいことだ」と語った>のだが、その後、周辺にはこんな冷ややかな言葉を漏らしていたというのだ。

「立ち止まって考えるべきだったな。恩知らずだった、ということだ」

 表向きのコメントとはぜんぜん違うことを、この老獪な政治家は周囲に語っていた。朝日は、この一言を見出しに採った。しかし、この一言を載せるために、朝日の記者はこれが事実かどうかの裏付けをするために証拠・証人を探したはずだ。でないと、こんなふうに見出しには取れない。よほど自信があったのだろう。安倍氏以来の政権への批判を貫いた。

こういう取材は手間ヒマがかかるが、新聞には求められる仕事だ。新聞記者というと、なんだか派手な感じをもっている就活生がいるが、じつは地味な仕事の積み重ねである。そうやって事実を集め真実に迫る。批判するにもただ激しいことばを相手にぶつけ、世間を煽るのでなく「事実をもって語らしむる」のだ。

 

 批判精神と取材魂――新聞記者のなんたるかを、身をもって教えてくださったのが、ペンの森の創始者、瀬下恵介先生だった。最初にお会いしたのは、瀬下先生が毎日新聞社発行のサンデー毎日副編集長のころ。もう40年以上前のことだ。社会部遊軍長からの転出だったが、根は社会部にあった。私が朝日新聞社を定年まで勤め上げ、いまペンの森で教えているのもそのご縁からだ。瀬下先生は89日、病気のために亡くなられた。享年82。瀬下先生の、マスコミに若い人材を送り込む「志」を継いでゆこう。(岩田一平)