最終面接に秘策はあるか?

 この人のおかげで朝日新聞に入れたようなものだと思っていた方だった。その、元朝日新聞記者で週刊朝日編集長を務めた川村二郎さんが先日、亡くなられた。享年78。川村さんが週刊朝日のデスクから編集長になった時期に部員として仕え、取材や文章の書き方をずいぶん教わった。当時は朝日新聞社の出版局が週刊朝日を発行していたが、いまは出版局の部分が子会社化し週刊朝日の編集部は㈱朝日新聞出版に属す。

 じつは川村さんのことは朝日に入る前から知っていた。というのも早稲田の学生時代、週刊朝日でアルバイトしていたからだ。雑用係だが時々取材のまねごとみたいなこともさせてもらえた。就活は朝日新聞が第一志望だった。そのころは今よりずっと遅く四年生の秋に各マスコミの試験があった。朝日の選考がとんとんと進み、いよいよ最終面接の日。

 有楽町の朝日新聞東京本社(現有楽町マリオン)の5階、お世話になってきた週刊朝日の編集部に顔を出した。直接お世話になった記者さんはいなかったが、顔見知りの川村さんが席にいた。わたしをジロリとみて、

「おい、ちょっと来いよ。ネクタイが曲がっている」

そういうと、やおらネクタイをほどいて結び直してくれた。わたしは父から教わった一番簡単なシングルノットしか結べない。これだとどうしてもネクタイの大剣が右か左かどっちかに寄ってしまうのである。川村さんはより複雑なウインザーノットをちょちょいと器用に結んでくれた。

「よし、これでいい」と、最後にこぶを持ち上げ小剣を下げて締めてくれたら、背筋がすぅーと伸びて何だかすっかり気持ちが落ち着き、階上の役員応接室であった最終面接に自信をもって臨めたのである。あの時、川村さんにネクタイのゆがみを直していただかなかったら、神経を昂らせ頭に血がのぼったまま最終面接を受けていただろう。

 「面接が苦手です」「練習したことと違うことを聞かれたらどうしましょう」「怖い」……就活生からよく相談される。しかし、自分の体験から思うことは模擬面接など下準備をある程度したら、あとはむしろ自信をもって面接に臨めるかが大切なのである。

 あれを聞かれたらどうしようとか、まだ準備が足りないのにとか、あれこれ悩んでも仕方がない。もう本番なのだ。どんな質問が来ようと、おれはおれ、わたしはわたし、どれだけ自分を出せるか。相手の顔色をうかがい、はらはらおどおどしていたらダメなのである。役員たちに聞いてもらいたい思いのたけをめいっぱい話す。それが、いま君ができる最高のパフォーマンスだ。

 だいたい、「自分の言いたいことを言えました」と報告してくる就活生はいい結果になっている。たとえ、その会社と縁がなくて涙を飲んだとしても次か、その次かには、うまくいく。言いきれたら悔いが残らないからだ。悔いを残したら損だ。そう、面接も最後は運ではなく、自分を信じる心の持ちようだ。

 

 川村さんのことは、まだ書きたいことがあるのだが、それはいずれまた。