戦争の記憶を取材しよう

 ペンの森では、課題として作文のタイトルを3つずつ出している。受講生はその中から1つを選んで800字の作文を書く。タイトルは時期を見て変えるが、いま出しているのは、

「顔」「戦後」「愛する人」

である。

 このうち「戦後」は、今年が敗戦から75年の節目にあたる年であることから出してみた。どこかの新聞社かテレビ局かの作文の題に実際出るかもしれない。

いま目の前にいる大学3年のペン森生に聞いたら、1999(平成11)年生まれという。おじいさんが敗戦の1年前の生まれというから1944(昭和19)年生まれということになる。わたしの父は1924(大正13)年生まれで陸軍のモーターボート特攻隊員として台湾で終戦を迎えた。父からは戦争の話をよく聞かされた。「特攻隊員は『天皇陛下万歳』なんて言って突っ込まない。『お母さん』言うんや」などと言っていた。

 しかし、もはや学生たちの祖父母の世代では戦争の期間には、まだ幼かったり、生まれていなかったりで、戦争の実態を語れない人が大半だろう。戦争体験を聞くには曾祖父までたどらなくてはならいが、相当の高齢だ。

「戦後」というようなタイトルを出すと曾祖父のことを書いてくる学生がいる。軍服姿の白黒の肖像写真が田舎の仏壇の横に飾ってあって、あれは「ひいじいさんの戦死したお兄さん」などと、おばあさんに聞かされたりしている。

 ところが、情報はそれだけで、軍服が陸軍のものなのか海軍なのかと聞いても「さあ、どっちなんろう」。それでいて「戦争の記録を残さなければならないと思う」などと書いている。確かに戦争世代が存命中のいま聞いて書きとどめておかないと戦争体験は滅してしまう。「でも、それしか知らないんです」と、書いた本人は口をとんがらかす。

 だったら、その軍人さんを知っているおばあさんからもっと話を聞けばよい。それが取材である。コロナ禍で会えなければ電話だってよい。名前は?陸軍なのか海軍なのか航空隊なのか?所属の部隊は?階級は?軍隊に引っ張られるまで何をしていた?学徒出陣だった?戦死したのはどこ?戦死でなかったら病死かもしれない。死んだのはどこ?遺骨は返ってきた?どんな人だった?何か家族に残した言葉はなかった?戦地からハガキは来ていない?……

 

 聞きたいことは山ほどある。聞くことで、忘れられていたその人が記憶の中で蘇り、つぎの世代のあなたに、まさに語り継がれることになる。 岩田一平