作文上達法 ネタ現場へ行って考える
ペンの森は18年間で400人以上がマスコミ界から内定をもらっている。
そのうち朝日、読売、毎日、共同の4社計6人(女子2人)が総合点1位入社の新入生総代に輝いている。日本新聞協会賞を受賞した卒業生女子もいる。
採用側は人事計画上、途中退社しないだろうと判断した人材に内定の通知を出すが、ペン森卒業生は途中退社がきわめて少ないのが特長である。
ペンの森は卒業した現役記者の来訪が日常化しているので、記者という仕事の楽しさ、責任、過酷さ、アドバイスなどを耳にする機会に恵まれている。わざわざOBOG訪問をしなくても、記者の本音や社風をよく聞かされる場がペンの森とも言えよう。
さらにペンの森の方針として、支持政党はどこであろうと構わないし、人間だから好き嫌いは当然のこととして、価値観はまったく問わない。
価値観の強要もしない。ただ、記者や編集者になってなにをやりたいか、将来にわたる自分のテーマを持っているか、などについてはES記入の時期ならずとも問いただす。
もうひとつ、「多く読み」「多く考え」「多く書け」というのが中国の文章上達法だが、ペンの森は「多く考えろ」だけは強調する。
「多く書け」とは言わない。考えないで多量生産してもとうていマスコミ試験には通用しない駄作の山になるだけである。
それよりもよく考えて秀作1本のほうが内定に近いことを認識しなければならない。駄作100本よりも秀作1本だ。
考えるのは机ではなく、人間性やドラマ性をはらんでいる現場へ行って考えろ、と。
日常を切り取って巧みに表現できる若者はそんなにいるものではないから、ネタの現場へ行って考えなさいと勧める。
井上ひさしは自分が主宰となって行った作文教室で「作文の秘訣は一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけ」といっている。
自分しか書けないこと、とは実体験のことだ。自分の体験は自分しか知らない。それを土台にして発展させ、だれにでも納得できる普遍的な意味へと昇華させる、ということだ。体験というと、たいてい小中学校時代の思い出になりがちだが、それは個人的な懐かしい思い出やいじめの反省で終わってしまう。それだけだ。
大した体験の持ち合わせがなければ、自ら体験しにいけばいい。
たとえばネタ現場の宝庫長野県には、戦没画学生の遺作を展示する「無言館」がある。そこで戦病死した学生のことや絵をとり置いてきた家族の心境に思いをはせる。信濃大町には塩の道博物館がある。そこは住民が株主になった株式会社の博物館である、住民が地元の遺産を大切にしているわけだ。地元の塩にまつわるエピソードだけでなく輸入塩も展示され、日本が世界一の塩輸入国であることも知る。
そのような現場にどう自分をからませるかが作文のセンスである。
センスは他人からもらうことはできない。
自分だけの感覚だ。このセンスこそニュース感覚や企画につながる重要な要素である。センスにはネタの取捨択も含まれてくる。要するに、マスコミ作文はネタ勝負であると思えばいい。ありきたりのネタで書くのは鮮度がなく、だれもハッとしたり、感心したり、感動したりしない駄作といえる。心に響かないのだ。ネタ現場を探し当てるのもセンスである。現場を自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じ、それを踏まえて考える。
マスコミ寺子屋
ペンの森
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