ブロック紙内定者

 

題「克服」

 

 昔から、戦争体験者の話を聞いても原爆資料館に行っても、戦争はどこか他人事のようにしか思えなかった。日本で憲法改正が取りざたされるなか、戦争を他人事だと思ってしまう無関心さを克服したいと思い、生の声を聞くため、郷里の愛知県豊川市の一軒家に一人で住む、88歳の曽祖父を訪ねた。

 72年前、豊川市には豊川海軍工廠があり、太平洋戦争中、約5万6400人が働いていた。曽祖父から「僕は工廠から歩いて5分の工場で、武器を造るためにやかんを溶かしていたんだよ」と、何度か聞いたことがある。

 1945年8月7日、豊川海軍工廠は米軍のB 29の空襲に遭い、約2500人が亡くなり、壊滅した。「ひいおじいさんは何とか助かった」と、幼い頃に祖母から聞いていた。

 曽祖父の家を訪ねたのは高校生以来だった。曽祖父は笑顔を絶やさない人で、私がビール注ぎに失敗して畳にシミを作っても、曽祖父の好物を食べてしまっても笑っていた。

 曽祖父から戦争の話を詳しく聞くのは初めてだ。教えてほしいと頼み込むと、本棚から空襲に遭った土地が載っている写真集を取り出し、しわしわの手でページをめくった。

 豊川海軍工廠への空襲の後、曽祖父は工廠の近くに、身元のわからない遺体を一体一体、スコップで埋めたのだという。いつも笑顔の曽祖父が、眉間に深いしわを刻み、「あんなことはもう起きないでほしいねえ」と苦しそうに言った時の表情は忘れられない。

 私が生まれ育った町で、私の親族が戦争を経験していたということを、初めて実感した。曽祖父をあれほど悲しい顔にしてしまう戦争を、絶対に繰り返したくない。

 それ以来、戦没画学生の遺作を展示している長野県の無言館という美術館に行くなど、自分なりに戦争を学んでいる。私は曽祖父の話を聞くことで、無関心を克服できた。悲惨な戦争を二度と起こさないために、日本は平和憲法を保持するべきだと思う。