題:調子

 

 ひとつ崩れると、全てが無になるような緊張感。負けず嫌いの私は、絶対一番がよかった。小学三年生、初めて出た柔道の都大会。決勝に進んだ。開始十秒、気づいたら仰向けになって相手を見ていた。今までの練習が無駄に終わったような悔しさで、私は会場のトイレで銀メダルを捨てて帰った。

 

 生来の完璧主義は、寝たきりになった父を前に、さらにひどくなっていった。八歳で両親が離婚して以来、父と私の二人暮らし。娘に不自由を感じさせまいと、仕事に励む頑固オヤジだった。大学二年の春、父は脳卒中で倒れた。私は半年悩んで、在宅介護を決意した。今度は、私が父を立派に支えてやる。

 

 介護食ひとつとっても、栄養分析から自分でやり、レトルトなんて論外だった。父の尊厳を傷つけまいと、オムツは使わず、68kgの父を毎回トイレまで運んでいった。

 

 トイレに移動しようと、ベッドから父を車椅子に移す。バランスを崩した私は、焦って手間取った。どうしよう、間に合わない。車椅子のハンドルを握って、ハッとした。つんと鼻につく臭い。下を見ると、車輪から尿が滴っている。失敗した。張り切るほどに父に不自由な思いをさせている自分にストレスが溜まっていた。それが一気にはじけ、涙があふれた。しかし父は、あっけらかんと私に言った。「あー、スッキリした。おい、オムツ買ってこい。無理すんな。」この一言に、何かが吹っ切れた。父は、笑っていた。

 

 父に調子を合わせよう、合わせようと躍起になっていた。気づいたら自分の調子を保つのすら難しくなっていた。私は、オムツと一緒に、手に負えない完璧主義を捨てることにした。気負った気持ちはだんだんと薄れ、父そのものを受け入れられるようになっていった。父は、今年の春亡くなった。完璧な介護とは言いがたい。でも、銀メダルも悪くないと、今は思える。

 

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題:生命力

 

 おっちょこちょいで、よく失敗する。就職試験を前にして失敗が怖くなった時、今は亡き父に言われた褒め言葉を思い出した。父は、大好きな阪神の選手をいつも引合いに出す。

  

 幼い頃、よく家族で球場に行った。長嶋ジャイアンツに中村タイガースがボロ負けしていた頃だ。根っからの阪神ファンである父。巨人一筋の母。両親に挟まれ歩いた水道橋までの帰り道、背番号11のタテジマはいつも寂しそうだった。それでも父は、「次こそは」と毎回こぼすのだ。

 

 当時、我が家の石畳に刈っても抜いても顔を出すしつこい雑草があった。あり余る生命力。その草に父は「村山」と名前をつけた。負けても負けても立ち向かう姿は、往年のMr.タイガースを彷彿とさせたらしい。庭掃除の最中、業を煮やした母は、ついに除草剤という力技に打って出る。そのやり方がいかにも巨人、と父が言う。母は無視してポンプを用意する。「村山」に愛着を抱いていた父は、電話を手に取った。「庭の石畳、剥いでくれませんか。」工務店を呼びつけた。

 

 庭下に深く根をはっていた「村山」は、無事植木鉢におさまった。美味しい土と最高の日当たりを手に入れた村山。だが一週間とたたず、枯れ落ちた。白い鉢にマジックで書かれた背番号11が、とても寂しく映った。「村山みたいに強い子だ」と父が褒める度に、この植木鉢が頭に浮かぶ。それが調子に乗って失敗する自分と重なって嫌だった。

 

 その後、庭は月極め駐車場に変わった。コンクリートの味気ない景色だ。先月、フラップ板の修理に来た工務店のご主人が「あ、村山さん」と笑って指を差した。見ると、コンクリートの間からハルジオンが顔を出している。あの「村山」だ。

 

 十数年ぶりに再会した「村山」は、植木鉢から抜け出して、私の背中を押してくれた。失敗してもいい。ダメになっても次がある。風当たりの強い社会に出ても、「村山みたいに強い子」でいたい。

(18期・読売新聞社内定・MMさん・既卒)

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